筆保銀香です

三題噺置き場。縦書きの。段落のところの1マス空きが変なのはご容赦ください。

シンデレラガール

私、シンデレラのお話から抜け出すことのできたない十四歳。冬の森の中で、くまさんに出会わないように、お菓子の家の魔女を探しています。このままおばあちゃんの家に行って、おおかみさんに騙されてもいいけど、でも、やっぱり素敵な王子様に出会いたいの!

学校の制服に、かぼちゃを抱えて冬の森の中を歩きます。冬なら、くまさんがいないから安心だよね。一応念のためにマッチを三本ポケットに入れてきたよ。
 うんうん。気づいてる。なにか足りないの。
 そう。ネズミさんがいないの。このままだと、馬なしの馬車になっちゃう。でも、私の家に買っているゴールデンハムスターたちを犠牲にすることはできない。あの子たちは私が責任もって育てるって決めているんだから。
 だから、この冬の森で探すのは二つ。
 魔女のおうちと、ネズミさん。

森の中を歩き始めて十五分。既にスカートとハイソックスの間の絶対領域が凍り付いています。私の顔も奥歯に力が入っていて、すごくかわいくない顔になっちゃっていることでしょう。
「もし。そこのおじょうさん」
 くまさん、と息をのみました。私の横にはくまさんがいて、私を食べちゃうんだ。そう考えると、走馬灯が駆け巡りそうになるけど、それよりも王子様に出会えないで死ぬことの方がつらい!どーしよー!
「落ち着いてください。ぼくはくまよりも弱く攻撃的でない生き物です。体毛も少なく寒そうにしていらっしゃったので、ぼくの温泉で身体を温めませんかとあなたに言いたくて声をかけたのです」
 あら、ご丁寧に。
 ジェントルな物言いに私はすっかりと気を良くして、横を向いたのです。
 そこには確かに温泉がありました。もくもくと暖かい水蒸気があがっています。そして、その中にはのっそりと眠そうな目をしたイノシシのような何匹かいました。彼らの横には何やら黄色い果物がぷっかりぷっかり漂っているのです。
「……あ、あなたは?」
カピバラです。ご存じないですか?」
 カピバラ! 知ってる! この目で見たことは初めてだけど、知ってる!
 私は一生懸命うんうんと頷きます。
「さあさ、お湯の中に入りましょう。これも何かの縁です」
 カピバラは目を細めます。なんだか笑っているみたいでかわいいのです。
「でも、私、バスタオルを持ってないの」
「ぼくたちのために、人間が置いているものがあります。ぼくたちにはそこの物置を開けられませんが、あなたなら開けられるでしょう。使われていないものがあると思います」
 よく見れば小さな木造の物置があります。鍵を外して中に入ると、真っ白なバスタオルがあります。キャラクターがついていない、よくあるバスタオルですが、使いたくなるくらいふわふわです。
 私は不躾にも二枚とってきて、一枚をかぼちゃの上に置いて、一枚を裸になった自分の身体に巻き付けて、カピバラさんの元へ向かいます。
 これも何かの縁でしょう。

お湯に入った後の気持ちは、説明できません。全身から力がぬけ、ほわーとなさけない声がもれるのです。このまま泡になって消えるなら、私は人魚姫になってもいいくらいの幸せです。
「ところで、あなたはどうしてこんなところに? なぜかぼちゃを持っているのです?」
 すいーっと私の横に一匹のカピバラがやって来ました。最初に声をかけてくれたカピバラです。
「私、王子様に会いに行きたいの」
 カピバラはこてんと首を傾げます。
「シンデレラはかぼちゃとねずみを馬車に変えて、舞踏会に行ったの。だから、カボチャを持って魔女の家に行けば、連れてってもらえるんじゃないかって思って……」
 ああ、口に出してみるとなんとも子供っぽい。恥ずかしいことを考えているのだと思い知らされます。「鏡よ、鏡」と呟いていた時は自分を騙していられても、外に出てしまえば、誰かに言ってしまえば現実を思い知らされるのです。
「私には分かっているの。もうこの世には王子様も、舞踏会もなくて、もしいたとしても私なんかのところには来ないって」
 ひとつ、ふたつと涙がお湯の中に落ちていきます。止めたいと思っても、もう止まりません。お湯に入った柚子がぼんやりと黄色い丸になっていって、涙でもう形をとどめていないように見えます。
「ぼくは、馬になれるかもしれませんよ」
 泣いている私を黙ってみていたカピバラが、私がしゃくり上げ始めると、ぽつりと言いました。
「なにせ、僕はテンジクネズミ科のネズミなのです。ネズミでも、こんなずんぐりむっくりしたネズミです」
 私が目をこすって、お湯が目に入ったときの痛みをこらえながらカピバラを見ると、カピバラはじいと私を見ていました。そのまなざしは真剣なもののように思えます。
「それでも、僕はあなたのためになるなら、喜んで馬になりたい」
 私とカピバラさんは見つめ合いました。それはもう長い時間。何も言わずに、じいっと。ただ見つめ合います。私がそうであるように、カピバラさんもそうだと思います。何かを考えることが無意味なくらい、見つめ合う時間が幸せだったのです。
 どぼん、という大きな音がして、私たちはお互いから目をはなしました。温泉のふちで、身体の小さなカピバラが二、三匹集まっていて、下を覗いています。そのうち一匹がすいっとこちらに来て、大きな歯を動かしながら言います。
「パパ、ごめんなさい。かぼちゃが珍しくて触っていたら落ちちゃったの」
 私のかぼちゃです。見れば、かぼちゃの置いてあるところにはバスタオルしかなくて、オレンジ色のかぼちゃらしきものがお湯の中に沈んでいます。
「ああ、いいの、いいの。もう私にはいらないものだから。向こうで遊んでおいで」
 小さなカピバラは申し訳なさそうに顔を下に下げてからみんなの元へ戻ります。
「子持ちだったのね」
 私がカピバラに言うと、カピバラは「いやぁ、お恥ずかしい」と笑いました。
「あなたの王子様になるには、遅すぎたみたいですね」
「そうね。私は夢見る少女じゃなくなるかもしれないけど、不倫娘のようなアバンギャルドな世界に飛び込む勇気はないわ」
「それがいいです。あなたはかわいらしい女の子なのですから、きっと王子様は現れなくても、いつか素敵な人に会えますよ」
「ありがとう、カピバラさん」
 カピバラの目はとてもキラキラしていて、もうなんだか、彼を抱きしめてお礼を言いたくなりました。
「さあ、今日は夜が長い日です。暗くなる前に帰りなさい」

あれから何度か森に入りました。もちろん、カピバラさんに会いに。でも、彼らの姿はおろか、温泉やタオルのあった物置小屋すら見つけることができません。
「せっかく、近況を伝えにきたのに」
 私、彼氏ができました。ちょっぴり馬面の。

妖怪三題噺「かぼちゃ、柚子、湯」
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