筆保銀香です

三題噺置き場。縦書きの。段落のところの1マス空きが変なのはご容赦ください。

ドーナツ処刑台

僕の理想はただの理想でしかなくて、僕の現実だけが現実的すぎて泣けてくる。僕は死にたいんだ。ただ、死にたいだけなんだ。

夜。電気を消した部屋の中。その暗闇で擬似的な死を思うこともできない。街灯が明るすぎるんだ。何が「神」の「戸」と書いて「神戸」だ。後光のごとく街灯で部屋を照らさないでくれ。明るすぎるんだよ。
 明るい窓口から決別をするように背を向ける。カーテンレールにしっかりと結ばれた縄を首にかける。そして気づく。カーテンレールじゃ高さが足りない。縄を首にかけて飛んだって、しっかりと僕は生きている。
 見上げる。電気は吊るされた電気じゃなくて、しっかりと天井に張り付いている電気だ。嗚呼、技術の発展はすばらしい。畜生。
 首から外した縄の輪っかが馬鹿馬鹿しい。僕がもう少し器用なら、首つりのためのあの伝統的な結び目ができただろうが、その結び方ができずに方結びを二回してしまっている。情けない結び目だ。
 嗚呼、情けない。暗い部屋の中で首を吊って死ぬという理想を実現したいだけなのに、どうしてこんなにも上手くいかないのだろうか。いっそ、この縄が幽霊漫画のように蛇になって、僕の首に巻き付いて殺してくれればいいのに。
「神の戸で神戸なら、蛇の神様がでてくれればいいのに」
 僕はきっと蛇神というものに「死」を関連させているらしい。自分で口にしてみて、初めて自覚した。それはどうしてだろう。どうしてもこうしてもない。僕の家に届けられたDVDのせいだ。
 そのDVDは二年前に送られてきた。いや、「送られてきた」という言葉は正しくないかもしれない。切手も住所も僕の名前すらも書いていない封筒が、無造作に僕の家のポストに入っていた封筒の中にあったものだ。僕はそのDVDをなんとなく自分のパソコンの中に入れてみた。……この時にやめておけばよかったんだ。
 DVDに映っていたもの。それは、女。裸の女。胸があるから女と思えた。髪の毛が全部なく、つるっ禿なだけで性別は案外分からなくなるらしい。いや、髪の毛だけでなく、全身の毛らしきものがないように思えた。その女がぐったりと透明なプラスチックの衣装ケースのようなものの中で、もたれかかっている。
 一分、二分と時間が経ち、僕はそこからどうなるのか知りたくなって、適当な場所までスキップをした。十分ほどのところまで飛ぶと、衣装ケースの端から大きな縄のようなものがひっかかっていた。
 いや、それは縄ではなかった。もっと意志のある、そう、生き物。大きな蛇だ。その大きな蛇はゆっくりと女の足下に近づいていき、その足を、ほんとうにゆっくりと、咥えて、いった。その蛇は、ほんとうに、ほんとうにゆっくりと、じらすような早さで、女を、呑み込んで、いった。
 足先から、膝を、太ももを、尻を、腰を、腹を、胸を、腕を。
 僕は、目をはなせなかった。はなしてはいけないと言われた気持ちになっていた。
 とうとう、女の頭を呑み込む。そんな時だ。
『たすけて』
 女が目を開き、うつろな眼で、ビデオに向かって言った。いや、言ったかどうかは分からない。女の口は確かに開いた。開いた? 開いたと思う。だとしたら言ったのだと思う。
 その言葉の真偽は定かではないが、その女は呑み込まれていった。それは確かなことだ。嗚呼、死んだ。その女は死んだ。元から死んでいたのではないか? いや、生きていた。ビデオの始めに閉じられていた目が、最後には開いていた。
 あの女は生きていた。
 いや、それよりも。もっともっと確かなことがある。
 僕の身体の熱だ。よりにもよって、一番最悪な部分が熱い。
 そのことに気づいた僕は泣いた。そのことを思い出している僕も今、泣いている。どうして僕はあそこで、あんなことになってしまったのだろうか。
 あの女の顔を覚えていない。そのときの蛇の模様を覚えていない。だが、僕はこのときの僕のことを一生忘れないだろう。
最低だ。僕は最低最悪の人間だ。
 僕は玄関を眺める。
 その日の夕方だ。その最悪なDVDを見た夕方に、部屋をノックする音がして、僕はドアを開けた。ホームレスのような格好をした男が立っていて、指でなにかを空中に書いていた。それは封筒を連想させる四角だった。
「キタ?」
 僕はドアを閉めて、部屋の中に戻り、机の上に置いてあったDVDを手に取った。僕はひとしきり悔やんだ後に、このDVDをまた誰かの郵便ポストにいれてやろうと思っていて、元の封筒の中にきれいに入れていた。
 戻ってその男に封筒を渡すと、男は封筒の中からDVDを取り出して、しげしげと見る。
「ミタ?」
 男が僕の方を向いてから尋ね、にっと笑う。日本人ではない、片言の言い方。首を振ると「オシカッタネ。人生カワルヨ」と言われた。男はそのまま帰っていった。
「人生カワルヨ」
 その通りだ。それからその僕の人生は、あのときの罪悪感との戦いだ。そこが熱をもつ度に、僕は自己嫌悪し、そこを切り落としたくなってしまう。
 そうだ。僕が死ななくても、コレが死んでしまえばいいんじゃないか。常にぶらさがっているソイツは今すぐに死ぬべきだ。縄も高さも問題ない。いや、縄じゃなくてもいいんじゃないかな、DVDみたいな、ドーナツみたいな。
 ドーナツ! そう、ドーナツ! ドーナツで作られた処刑台!
 笑わずにいられない。僕は何を考えているんだ。それでも、笑いが止まらない。僕は笑いながら、自分の股間に向かって叫ぶ。
「なあ! おまえ、死にたくなんねえの?」
 何も言わない。分かっているのだろうか。蛇みたいな格好しやがって。おまえは喰う側だとでも言いたいのだろうか。その首がどこかも分からないようなところにドーナツの穴をそっと通して、それをひもで吊り上げる。それでコイツは死ぬ。それで、僕の人生は元に戻るはずだ。
「おまえの処刑台を作ってやる」
 僕は立ち上がる。
「きっと、きっとだ」
 途中でゴミ箱を蹴っ飛ばす。
「おまえみたいなやつは生きてちゃいけないんだ」
 ドアノブに手をかける。
「死ね」
 部屋から出る。

 
妖怪三題噺「神戸、蛇、ドーナツ」
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