筆保銀香です

三題噺置き場。縦書きの。段落のところの1マス空きが変なのはご容赦ください。

三題噺:床下の女

その日の「みやこや」は慌ただしかった。部屋で指名した花魁を待っていたが、来る気配が全くない。今日みたいな日は花魁としっとり遊びたいと思っていたが、それも難しそうだと、嶋之助は酒を呑みながら考えていた。
 半刻ほど待った頃か、店の者が戸を開け、頭を下げた。
「嶋之助さま。お待たせして申し訳ありません。あいにく、今晩の、その、『華の』のことですが、嶋之助さまのところに行けぬ事情ができまして」
「ああ、かまわない」
 嶋之助はあっさりと言ってのける。この半刻の間で花魁と遊ぶという気が削がれてしまい、むしろこの後に花魁と遊べないとなると誰と何をするかということの方に関心が向いていた。
「とはいえ、ここでしばらく酒を呑んでしまって、このまま帰るのも癪だから、誰かと遊びたいのだが、誰かいないのか」
 店の者は右と左の親指をすり合わせながら「そのぉ」と口ごもる。
「あいにく、新造らも出払っていまして……。このようなことになることはめったにないのですが……」
「ではなにか。このまま私に一人寂しく帰れというのか」
 嶋之助は大きくため息を吐いた。
「いえいえ、とんでもない! しかし、こちらとしては大変恐縮ですが……一人だけ、呼ぶことができます」
「ほう、どんな娘だ」
「それが……『床下』とこの店で読んでいる身分のものでして……。普段は鳥屋の世話人をしている娘です。借金の方に連れてこられた娘でしたが、これがまたたいへんな醜女で。子供のうちならまだ化けることもあるかと禿にもせずに鳥屋の世話をさせて様子を見ていたのですが、年頃になっても醜女の顔のままなので、こちらとしてもどう扱っていいもんか分からんのです」
「そんな娘を客に薦めるのか」
 その声音は不満よりも意地悪気であった。嶋之助はその女がどのような醜女であろうか、「みやこや」で誰も見ることがない「床下」と言われる女が何を考えているのか。その女に一眼会って、友人たちへの話の種にしたい気持ちがあった。
 そのように嶋之助が考えているとも知らぬ店の者は「へえ!」と頭を下げる。
「もちろん、嶋之助さまから今回のことでお代をいただこうなどとは思っていません。本来女郎でもない娘で、しかも醜女の下女のような、岡場所がふさわしいような女を呼ぶということはあってはならないことです。しかし、このまま嶋之助さまを帰すこともまた悪し。どうか、お許しください。嶋之助さまがどのように扱っても構いませんので……」

「失礼します」
 店の者が出て行ってしばらく。嶋之助がこれまで聞いたことがないような女の声が廊下から聞こえた。半ばうつらうつらしていた嶋之助だったが、女の姿を見てぎよっと驚いた。
 女は着慣れないであろう赤の着物を着ている。身体つきだけであれば立派な女郎であろう。しかし、首から上は怪異のようなものだった。結われてもいない長い髪は帯のあたりまでだらりと垂れ流され、顔を隠してしまっている。お岩も驚きの格好だ。
 女は嶋之助の前に座り、頭を下げる。
「『かみの』と申します」
 声だけは今まで聞いたことがない美しい声だった。声だけではない。彼女を隠す黒髪は艶やかであり、身体の足の先まで振る舞いは美しい。
「本日は私のような女が嶋之助さまの前に出るなど……。本当に申し訳ありません」
「いや、いい。それより、店の者がおまえを醜女だと言っていたが本当か」
「はい。とても嶋之助様にはお店できるものではないかと……」
「それでも私が見たいと言うなら」
「とんでもありません……。お許しください」
 畳にぽたりと涙のような水が髪を伝って落ちる。幽霊のような女なのに、どうして美しいと感じるのだろうか。嶋之助には不思議だった。
「冗談だ。私はこのまま一人で酒を呑んで帰るのが嫌だっただけなんだ。おまえ、芸はできるか」
「はい。琴と三味線を……」
「ならば三味線を」
 かみのは三味線を持ってきて、嶋之助の前で弾く。
 べん。
 その音を始めとして、次々と流れる三味線の音と、かみのの声はこれまた美しいものであった。
 べん。
 べん、べん、べん。
 その音のひとつひとつが嶋之助の鼓動と共鳴しているような不思議な感覚であった。嶋之助はたまらず、三味線を持つかみのの手首を掴む。べん、とそれまで美しく歌っていた三味線が下手な音を鳴らす。
 嶋之助はかみのを見つめた。髪の奥が見たい。しかし、それで自分がかみのに興味を失くしてしまうのではないか。いや、今のこの気持ちを失ってしまうのではないか。そんな気がして動けなかった。
「嶋之助さま……」
 かみのが名を呼ぶが、それに嶋之助は答えることができず、長く、何も声にならず、息を吐く。俯くとかみのの手首が見えた。白く、美しい手であった。嶋之助の手に比べて、頼りなく、折れてしまいそうな手。その儚さにたまらず、嶋之助は口付けをする。
 この時の嶋之助の気持ちは幾許であっただろうか。
 嶋之助の頭の中は目の前にいるかみのをどうやって手に入れるか、それだけであった。

 

妖怪三題噺「黒髪、床下、リスト」
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