私はどこで朝食を
A.M.5:30。冬の、まだ朝陽も昇っていない時間に、私は紙袋を片手に商店街を歩く。商店街だけでなく、まだ街も目を覚ましていない。そんな時間に私はただ独り歩く。
まるで映画の一シーンみたいだ。
自分のことながら、そんなことを思った。いつか学校で見た、あの映画。黒の服に身を包んで、パンの入った紙袋を片手にショーウィンドウを眺めて歩く。あの映画。名前は忘れてしまった。
紙袋をそっと開けると、芳しい紙の匂いが鼻をくすぐった。中には餡パンが一つ。昨日の夜に買ったものだ。紙袋から取り出した餡パンはビニール越しに触れても冷たくなっていた。
しかたないか。
餡パンに一口齧り付きながら、私は歩く。シャッターの閉まった商店街。夜の世界の人も、朝の世界の人もいない、その狭間の時間を。
その静けさを愛する私は、過去に自分がいたその空間に似ている場所を探して、商店街に彷徨い込んだ。
私がまだ小学生の頃。一度だけ、閉館後の博物館に置き去りにされたことがある。
両親と一緒に博物館に入ったが、私とお父さんが喧嘩したせいで、そこに置き去りにされた。そのまま泣いて帰って謝るのも癪だった私は、そのまま多くの人から隠れながら過ごし、いつの間にかトイレの中で泣きつかれて寝てしまっていた。
気づけば、館内は真っ暗で。私は涙を出し尽くしてしまったことも忘れて、涙の出ない目を何度もこすっていた。
目を何度もこすって夜を過ごして、ついに夜明けがきた。うっすらと朝陽を受けた館内が、私を暖かく包んだ。
そこに人影を見つけて、私は近寄った。
「ねえ、そこにいるの!」
それは人ではなかった。人というよりは猿のようなものだった。恐竜の骨が並ぶ展示場の中で、ただ一人、何を考えているのか分からない表情の猿が場違いのように立っていた。
私はその猿に近づいて、近くに置いてあるプレートを見る。
『LUCY』
猿の名だと分かった。LUCY、ルーシー。
この出来事の後に知ったことだが、このルーシーという猿は最古の人類と言われている存在で、その博物館はルーシーの再現模型を展示していた。
「猿のくせに、しゃれた名前。似合ってないよ」
小学生の私はそう言った。ルーシーは何も言わない。恐竜や動物に囲まれた博物館の中で、ルーシーだけが私に似ている存在だった。
ルーシーと私はその明け方の時間から博物館の開館時間まで一緒にいた。私もルーシーも最初の会話以外に口を開くことはなかった。だけど、自分と似た存在が傍にいてくれるというだけで、私は満たされていた。
商店街を歩く私は、ルーシーのような存在を求めて、博物館のように展示物だけが取り残された空間を彷徨う。家でお父さんと顔を合わせるのが嫌で、朝早くに家を出て、ルーシーのような存在を探す。
ねえ、ルーシー。
商店街の中腹付近の、それなりの値段の服を売る店のショーウィンドウの中にある、黒のドレスを身にまとったマネキンに声をかけてしまいたくなる。
ショーウィンドウはうっすらと私の顔を映している。紙袋と餡パンを片手に、サングラスでは眼鏡を、ワンピースではなくて制服を身につけた私。
「似合ってないよ」
いつかまた、あの博物館で朝食を。
妖怪三題噺「餡パン、紙袋、ルーシー」
https://twitter.com/3dai_yokai