不器用な子
美術の時間、横の席を見ると、クラスメイトの木下が血を流していた。指先に開いた小さな傷から流れていく血を、私と木下はただ呆然と眺めていた。その血は指の裏側に回り込んで、机の上にあった白い画用紙の上におちた。
「あ」
私と木下は同時に声をあげる。私は「しまった」と思ったが、どうやら木下は私が声を漏らしたことに気づいていないらしく、血を流した指をもう片方の手で包み込んだ。ポケットティッシュを持っていないのかもしれない。
自分のポケットを探ると、ずっと入れっぱなしのポケットティッシュが出てきた。これを差し出すことで、木下が血を流すことを見ていましたーって言うような感じになるのではないか。そんなことを気にしているうちに、チャイムが鳴って、授業が終わってしまった。
木下は変な子だ。
喋りかけても返事をしないし、こっちを見ない。だけど、たまに遠くで話している子たちのことをじっと見ていることがある。
見た目は整っているとは言えない。髪は短くて、いつも少しはねている。制服は違反をせずに着ているけど、制服のリボンだけはきれいに結べていなくて、いつも崩れている。私の学校の制服ではリボンを丁寧に蝶蝶結びするのだけれど、木下はそれができないらしく、方結びだけで止まっていて、ループタイみたいになっている。
「木下って変だよね」
このクラスになって何度も聞いた。私は木下が変だと思っている。
木下が嫌いかと言われたら、たぶん違うと答えれると思う。じゃあ、どうして友だちにならないのと言われたら、たぶんクラスの他の子が友だちじゃなくなることが嫌だからだと思う。
でも、実際、そんなことはないんだよね。
私は心の中で呟いた。このクラスになってから結構経つ。私が木下に声をかけたからって、このクラスの全員を敵に回すことはない。
みんなそんな子供じゃない。
「ねえ、木下」
私が話しかけても、木下はぼーっとしている。私がポケットティッシュを差し出すと、ようやく木下は私の方を見る。正確には、私のポケットティッシュを。
「さっき、カッターで怪我してたでしょ」
「切り絵」
「は?」
何を言っているのか分からなかった。少し考えて、今日の美術の課題のことだと分かった。
「そう、切り絵のとき」
私が怪我をしていることを気にしていると言っているのに、木下にそれが伝わっている感じがなかった。
気まずい沈黙が流れる。
その間、私は木下の横顔を眺めていた。こうして近くで見ると、木下のかけている眼鏡は白く曇っている。あまり拭いていないのかもしれない。
「その眼鏡、見えにくくない?」
「うん」
どっちなのか分からない。私は木下の眼鏡をそっと取り上げて、ポケットティッシュを使って眼鏡を拭く。そういう行動をとって彼女が怒るかもしれない。そしたら、このよく分からない木下という人物が人間らしいところを見せてくれるのかもしれない。ちょっとした遊び心だった。
拭き終わった眼鏡はすごくきれいになった、というわけではなかった。だけど、それでも拭く前よりはとても良い。
「はい」
木下の机に眼鏡を置くと、木下は不思議そうな顔をする。私の方を向いて、首を傾げる。
「少しは眼鏡を拭きなよ。きれいになるでしょ」
「うん」
「あと、手の傷。そのままにするんじゃなくて、血とか拭きなさいよ。いや、それよりも、絆創膏とかそういうの持ち歩きなよ」
「うん」
また沈黙。でも、言いたいことは言えたし、もうなんだか早く立ち去りたくて仕方なかった私は「じゃ」と言って、自分の席に戻って行った。
次の日、私の机の上に飴が三個と手紙が置いてあった。
『心配してくれてありがとう』
小学生みたいな字だったけど、かろうじてそう読めた。これはきっと木下の字だろう。
「不器用なやつ」
木下は窓の外を見ている。今日は横髪がはねている。りぼんもきれいに結べていない。それでも、なんだか眼鏡はきれいになっている気がした。
今日はりぼんの結び方でも教えてやろう。
私は木下という動物と戯れているみたいで、ちょっと楽しくなった。
妖怪三題噺「切り絵、眼鏡、リボン」
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